『現代を創造的に生きるために』
創世記1−11章からの52の黙想
『現代を創造的に生きるために』創世記1−11章からの52の黙想
河野勇一著
B6変 1,260円(税込)
注文No.01850
関野祐二
聖契神学校校長
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釈義や神学的背景をしっかりおさえ、現代を生きるための黙想にいたらせる

 創世記は、神・人・世界を根源から知り、聖書全巻にわたる罪・契約・イスラエル・贖い(救い)の進展を出発点から見通す要の書。同時に、記者/編者や成立過程、自然科学との関係などデリケートな諸問題を含み、聖書を誤りなき神のことばと標榜する福音派にとっては、扱いの難しい書でもあろう。激しく変化する現代を真実に生きるため、著者はアブラハム登場までの創世記1−11章から「世界と人間に対する神の意図を把握すること」を目指す。どのようなスタンスと切り口で解き明かされているか、興味津々で読んだ。

 内容は副題のとおり、見開き二頁で一回分の「五十二の黙想」だが、いわゆるディボーショナルな筆致ではなく、簡潔な表現ながら釈義や神学的背景がきちんとおさえられており、心と頭をフル回転させてじっくり味わうべき重厚さを有する。それもそのはず、著者は序文において本書の特徴とは、創世記を選民イスラエルへの啓示、新約聖書とのキリストによる終末論的つながり、組織神学的理解と適用において黙想すること、と提示している。だから、本書は読んですぐに「恵まれる」即効ドリンク剤の類ではなく、思索と現代的適用を読者に求めるのだ。巻末に掲載された「救いの構造」表もレベルが高い。評者と同じく著者も理工系出身で、肌合いが似ているからか、その明快さに心地よさを覚えた。

 個人的には、創世記の成立(1)、自然界の偶然性と神の超越性の関係(3)、天地創造記述の性格(5)、偶然による進化論と変異のプロセスとの区別(7)、文化命令の理解(14)など、創世記一章、二章に対する著者の洞察と踏み込んだ叙述がとりわけ新鮮に感じられ、本書の真骨頂と思う。

 創世記という書の豊かさ、著者の黙想が目指す高さ、限られた字数を考え合わせると、時に創世記そのものよりも新約的発展に割くスペースが勝る箇所について、もう少し創世記それ自身に語らせてほしいと願うのは、欲張りすぎだろうか


週刊 『クリスチャン新聞』 2007年6月3日号=9面=掲載
『現代を創造的に生きるために』河野勇一著
(いのちのことば社、1,260円税込)
  
                    
 タイトルを見て、人は思わずこの著を手にとるであろう。「現代」(いま)、人は「創造的に生き」たいと深く願っているからである。しかし次の瞬間、この著が創世記1〜11章を素材にした黙想集であることを知るとき、あるいは意外に思うかもしれない。創世記などは、「現代」からほど遠いというのが一般的印象だから。しかし著者は、これらの章が現代人に深く語りかけていることを簡潔な文章で説き明かし、人間の根源的な諸問題を、テキストを鏡にしながら網羅的に扱っている。

 まず神に呼び出され、神との人格的経験をした者のみが、この世界の由来を神の創造によるものだと洞察し、その混迷にもかかわらず、恵みの中を感謝と喜びのうちに生きる、と教えている。

 また、現代人が直面している深い問いは人間とは何かということであろうが、著者は人間創造の記事から聖書に聞き、本来の「神のかたち」であるキリストを知るとき、自分が「神のかたち」として造られた「気高い存在として見る根拠が与えられる」と答える。実に積極的な人間理解である。

 さらに、「終末が近い、終末が近い」と「騒ぎたてて」いる現代、著者は「世の終わり」の来ることは「7日目」の記述から察知することができるがそれは「単なる終わり」ではなく、主の再臨を機に「もっと素晴らしい新天新地を造」られる「新しい日の夜明け」と展開している。ノアの記事にも同様の観点が述べられ、神にある希望が語られる。

 52の黙想という体裁は、著者が牧する教会の礼拝でなされた講解説教の凝縮である。見開きで「1日分」、あるいは「1週間分」の現代的霊の糧を得ることができる。深く豊かな内容がコンパクトにまとめられているが、著者の労のあとを見る思いがする。現代的諸問題を鋭く意識し、旧新約を組織神学的に見つつ、一般学的知見の広さなどを背景にしながら、全体を黙想の形にする。「世界と人間」について混迷を経験しているこの現代に向かって、創世記を語らせている意義深い著作だ。

(評・橋本昭夫=神戸ルーテル神学校校長)